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突然ですが視線誘導です。写真の構図を決める際の視線誘導であったりリーディングラインの重要性はいろんなところで語られていますし、このブログでも何度か取り上げてきました。
しかし、写真の良し悪しを判別する際になぜ視線誘導が必要なのか?というテーマについてはイマイチ語られていないような気がしており、今日はそのことについて考えてみよかなと思います。
視線誘導されてるからいい写真なのか?
そもそも論としていい写真とは何かというテーマがあるのですが、僕もそんなのまだ分からないしそこ触りだすと延々終わらないような気がしますので、まあふんわりと「いい写真」について話します。
みんなが見て「ああ、これいいな」と思う写真の多くは、構図を作る際に視線誘導を意識して撮影されている場合が多いです。
写真に限らず、長い歴史を持つような絵画も視線誘導をかなり意識しているということが知られています。
しかし、なんで視線を誘導させられると人は「この写真はいい写真だ」となるのでしょうか?
視線を誘導させるメリット
作品には意図があります。主題があり副題があり、それを撮影したあなたが閲覧者に見せたい「何か」があります。
そこまで小難しくなくても「あ、これステキだな」と思って撮った写真のその「ステキ」なものが「何か」なわけです。
そして、あなたが感じた「ステキな何か」を誰かにシェアしたい。それが作品になります。
なので、その「ステキな何か」をシェアしたい誰かにきちんと分かってもらう必要がありますよね?
そういう時に何を見せたいかが分かるようにするために視線を誘導してあげて「これがあなたに見せたいものだよ!」と教えてあげる。それが視線の誘導のメリットになります。
例をあげてみましょう。
実際の視線誘導の作例
こちらは中国地方にある大山という山の冬の写真。
視線というのは基本的には手前から奥に向かいます。この写真ならこのへんからだいたいスタートするだろうなということで、この丸で囲ったあたりはちょっとシャープをきつめにかけて視線のとっかかりをつくっています。
そこから稜線上に視線は動いていきます。稜線のようなラインになっているものは視線がそこをなぞりやすくなります。この日は朝焼けでコントラストがついているのでさらにその効果は強くなります。
ということで視線を走らせると登山者がいますね。雪山に人がいるというストーリーが生まれています。
写真のストーリー性については以前記事にしているのでこちらも参考にしてみてください。
[blogcard url=”https://logcamera.com/story/″]
さらにそこから太陽の光条へとぶつかります。太陽というのも非常にエネルギーをもった存在なのでぐぐっと視線が引き寄せられますね。
このように、閲覧者の視線をあなたの見てもらいたい部分に誘導してあげる。これが構図における視線誘導の大きな目的の一つです。
- 写真を撮るときには「いいな」と思ったなにかがある
- その「いいな」と思ったポイントをしっかり見てもらえるよう視線を誘導してあげる
そうではないパターンもある
これを見せたい!というものへと視線を向けるための視線誘導のメリットは理解できたと思いますが。
しかし、写真の中にはそうではないものも存在します。

例えばこの写真。この写真ではヘッドライトの光跡に視線を誘導させられます。しかし、主題は棚田であり、そこに誘導しているか?と聞かれると疑問符がついてしまうような構図。
とはいえ、この写真を見たあなたは「なんか良いな」と思ってしまうのではないでしょうか?え?思わない?そんなこといわないでょ…。
いいと思ったあなたも、そう思わなかったあなたも、まあ聞いてほしいんですが、写真の中には「主題や副題へと向けるための視線誘導をしているわけではない」ものがあります。
そして、そういった写真の良し悪しとは関係ないにも関わらず、それをいいなと感じてしまうことがある。ということを、お話したいと思うのです。
視線誘導をさせられるだけでなんかいいなと思う理由って?
今回お話したいメインのテーマがこれです。写真の良し悪しからかけ離れていた場合でも、視線誘導をさせられると何故かいいなと思ってしまうことがある。
しかし、なんでそれがいいなと思ってしまうのか?というのが個人的にずっと疑問でした。この疑問に対していろいろと考えてみた結果、なんとなく自分の中で理屈で説明できそうな理由を考えてみたので今日お話しようと思っているわけです。
ということで、ここからは僕がこうではないかと思ってることなので、あってるあってないはちょっと置いといて少し聞いてみていただければ幸いです。
- 写真の中には意図的でないにもかかわらず視線誘導させられると「いいな」と思ってしまう写真がある
- 視線誘導させられただけでいいなと思うのはなぜだろう?
原因帰属の錯誤
帰属という言葉があります。これは何か事象が起こったとき、原因がどこにあったのかを求めようとする心理作用のことをいいます。そして、それが正しく帰属しない場合があり、それを原因帰属の錯誤、と呼びます。
これだけだとちょっと分かりにくいと思いますが、いちばんよく知られている例が「吊り橋効果」です。
吊り橋効果
これは1974年にカナダの心理学者であるダットンとアロンによって実証された感情の生起に感する学説。
男女ふたりが揺れる吊り橋の上を一緒に歩いたとき、吊り橋が揺れる恐怖でドキドキしてしまったのを恋愛のドキドキと勘違いしてしまうという、けっこう有名なあれです。
ドキドキするという事象が起こったとき、本来なら「吊り橋がゆれているから」という原因に帰属しないといけないものが、このパターンでは「異性と一緒にいるから」と帰属が錯誤してしまっているわけです。
これに似た例として、特に楽しいわけではないけど笑顔を作ると気持ちが晴れやかになり幸福感を得られるなんてのも実証されています。
こちらも「楽しい→笑う」ではなく「笑っている」原因を脳が帰属させるために「楽しいからだ」と認識するからなのです。
このような例は多々あり、さまざまな実証実験で証明されています。
僕たちは「感情があるから行動に移る」と考えています。楽しいから笑う、好きだからドキドキする。しかし、人の脳において感情と行動というのはけっこう曖昧であり、しばしばその順序が逆転してしまいます。「笑っているのは楽しいからだ、ドキドキしているのは好きだから」だと脳が帰属錯誤してしまうということがあるわけです。
- なにか起こったときにその原因を求めること帰属と呼ぶ
- 本当の原因ではないものに帰属することがある。これを帰属錯誤という
- 例えば、吊り橋のドキドキをとなりを歩いている女性に恋をしているからと帰属錯誤したりする(吊り橋効果)
人は良い写真を見た時どんな行動をしているか?
人は良いなと思う写真や絵画を見た場合、そうではないものと比べた時、その作品に長く視線がとどまっているということが、こちらも実験によって実証されています。
また、その視線は一ヶ所だけに止まらず、画面内のあらゆるところに動いていくということも知られています。
これは、あなたにも感覚的に分かると思います。いい写真や絵を見た時、いろんな部分をじっくりみたくなりますよね?
「写真が良い」から「いろんな場所をみたい」
つまり、ここでは「写真が良い」という原因の結果、「その写真のいろんな場所を隅々まで見る」という事象が起こっているわけです。
さてさて、ということは?
先ほどの原因帰属の錯誤の例をここに当てはめてみると、写真を見た時に特に理由もなく「いろんな場所を見てしまう」という事象が起きてしまった。すると人はその原因を帰属させたくなります。
そう、つまりこの場合では「この写真が良いからだ」と理由づけてしまうというわけです。
さあ、なんとなく腹落ちしてきました。
- いい写真を見たとき、人はその視線は長くそこにとどまり、あちらこちらを見渡している
- 「写真がいい」という原因があり、「その写真のいろんな場所を隅々まで見る」という事象が起こる
- では、逆に「写真の隅々まで見せる」ことができればその「写真がいい」と帰属錯誤させることができるのではないか
視線誘導させることで帰属の錯誤を起こさせることができる
「主題や副題に目を向けさせている」わけでもなく、その写真の中で確たる意図も無いのに、視線誘導させられると何故か「なんだかいいな」と思ってしまう理由。その理由の説明になるのではないでしょうか?
つまり、人は視線誘導によって作品の中をあちこち見せられると「こんなにこの写真を隅々まで見てしまうのはこの写真がいいからだ」と原因帰属の錯誤を起こしているといえます。
いい作品はあちこちを見てしまうという経験から、視線を誘導されること自体が「快」になるわけですね。
視線誘導することで「快」を与えられるのならしたほうがいい
ここからは個人的な意見なのですが、視線誘導をすることで原因帰属の錯誤であるとはいえ「この写真を見ているとなんだか良いな」と「快」を与えることができるのであれば、そこに意図があろうがなかろうが積極的に使っていくべきではないかなと思うわけです。
例えば、海外のフォトグラファーがよくやっていて、最近では日本でも見るようになったこんな構図。
この例にあげている写真、そこに花がある必要なんてそこまでないわけです。けど、なんかカッコよく見えるのは、この花が視線の入り口となり背後の山と対比させている結果、その視線が上下に行き来することで視線の循環が生まれているからです。
対して意図もないのに、なんでもかんでもこんな構図にするべきじゃない!なんて意見もあるかもしれませんが、意図があろうがなかろうが、それを見た人に「なんか良いな」と思わせることができるなら、個人的にはまずは狙ってみるほうがいいと思うのです。
視線の誘導だけが、写真で身体に対して行動を促せる
写真の表現にはいろんな方法があります。キャプションを加える、写真展で凝った飾り方をする。そして、もしかしたらいろんな方法で今日紹介した原因帰属の錯誤を起こすことができるかもしれません。
例えば、吊り橋を渡っている途中に綺麗な女の子の写真を見せ吊り橋のドキドキをその写真の女の子にドキドキに帰属錯誤させるとか。とはいえ、そうそうそんな凝ったことができるわけでもありません。
しかし、視線。
そう、この視線だけはあなたの写真の中で意図的にコントロールできる唯一のものなのです。
自分の写真を見ていただいて「いいな」と思ってもらえるのって結構難しいです。絶対的な正解があるわけでもないですもんね。
それがまたおもしろいのですが、それでもその「いいな」ってもらえる可能性を少しでもあげる。そのために視線の誘導は積極的に使っていってはいかがでしょうか?
まとめ
というわけで、今日は写真における視線誘導の効果とその必要性について考えてみました。
あなたの写真を隅から隅まで見てもらえるような、効果的な視線誘導ができる構図作りにチャレンジしてみてくださいね。